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Vol.52
人格と責任 |
2019年06月05日 |
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昔から言われている諺(ことわざ)に、「三つ子の魂百まで」や「栴檀(せんだん・香木の一種でビャクダン)は双葉より芳し」があります。これは性格の根幹が生まれた時にその人に資質として備わっている事を意味するのですが、反面、「氏(うじ)より育ち」の諺もあって、子どもの成育環境が大事な事を意味しています。
一方、人は生まれてから死ぬまでの間に幾つもの転機を迎えます。思いつくままに列挙しただけで、進学、就職、友情、恋愛、結婚、離婚、死別等があり、その他に事件、事故に遭遇したり、取り返しのつかない失敗や裏切り、窮地に立たされた折の救いの手等、数えたら切りがありません。そして、この転機の都度、人は喜び、悲しみ、挫折したり感動したりして、人格が形作られて行くのだと思います。
要するに、人は生まれ持った資質に成育環境がプラスし、更に独り立ちまでの過程や社会人となってから経験する幾多の転機によって人格が形成されて行く訳で、人格の中身は極めて複雑なのです。
私は以前、Vol.2「人生とは」で、他人の人生を評価するのは難しいと書きましたが、様々な経験を積んだ人ほど精神構造は複雑で、時には理解不能に陥ります。
それでも人間社会を維持して行く為には、他人を評価し、国は犯罪を裁かなければなりません。評価や裁断の根拠は、その人が何を言い、何をやったかです。社会や国はその2点に人としての責任を求めるのです。その人の持つ内面の心理や、結果に至るプロセスはそれほど重要視されませんし、又、それを第三者が窺い知る事は極めて困難と言わざるを得ません。 |
了 |
菅谷 勝
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