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Vol.35
親孝行は親の為ならず |
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「情けは人の為ならず」ということわざがあります。三省堂大辞林によれば、「情けを人にかけておけば、巡り巡って自分に良い報いが来る」、「近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある」と解説されています。
今回はこれをもじって「親孝行は親の為ならず」をテーマとしました。
私は40才の頃、親戚の葬儀に参列した折、葬儀は亡くなった人の為ではなく、残された遺族の為の儀式ではないか、と実感したことがあります。無神論者の私には、幾ら盛大な葬儀を行っても、あの世に旅立った人に見える訳でもなければ、読経の声が聞こえる訳でもないと思えるのです。人は所詮、自分自身を納得させる為に葬儀を行うのであって、こうした遺族の心情に寺や教会、葬儀社が加わって弔いの儀式が形作られたのだと思います。
親孝行も同じではないでしょうか。儒教の世界では親孝行を重視していますが、考えてみれば自分を生み育ててくれた親を大事にすることは、一般論として当然なのだと考えます。昨今、育児放棄や子どもに対する親の虐待等が社会問題となり、極端な事例で語られることが多くなった感がありますが、親に感謝し、親を大事にすることは当り前のことなのです。
電車やバスで年老いた人に席を譲る人が、自分の親が年老いたり、病の床に就いた折に世話をすることに疑問を抱くでしょうか。親の死に直面した時、果たして十分に親の世話をしたか否かを自問し、納得出来るか、それとも後悔するかの場面が、あなたにも必ず到来します。
ですから、親孝行は親の為ではなく、自分の為にするのだと思いますし、そうした生き方、考え方をする人生観が大事なのだと考えます。
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