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											| Vol.59 
											大学教育 |  
											| 2020年11月19日 |  
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														| 私は学生時代に教職課程を履修し、教員免許を取得しました。僻地教育に関心を抱いていたのですが、4年次の夏に父から「独立するから手伝え」と言われ、調査の世界に入りました。 そして30代半ばの頃、中学校の同窓会に参加した時の事です。クラスメートに公立大学で教職に就いていた人物がいて、特定の政党を支持する持論を展開したのです。
 
 血気盛んだった私は、「学生を特定の方向へ誘導して、将来の責任を持てるのか」と反論しました。高校生の生活範囲は、学校と家庭が殆どで、これにサークル活動や塾が加わるのが大半です。ですから、大学1年生の学生達は免疫力に乏しく、白紙にインクを垂らす様にして染まってしまいます。
 
 学生時代の私は、尊敬する教授から、「言葉を丸暗記するのでは無く、言葉の意味や背景を読み解く必要が有る」と教えられ、以来、何事にも「何故?」と考える様になりました。
 天下国家を論じるには社会を知る必要が有り、更に社会を構成する自治体、次いで家庭へ、最後に個々の人間とは?、人生とは?、に辿り着いたのです。
 
 国立や公立の大学は国民の税金で100%運営されており、特定の政党やイデオロギーの宣伝機関では有りません。これは学問の自由、思想の自由とは別の次元の話であり、国立や公立で教鞭をとる学者は、飽くまでも学生が社会に出て困らない様に、又、自分の頭で判断出来る様に、基礎固めの教育に徹するべきだと考えます。
 
 自分の主義主張を論じたければ、明治維新の火種の一つとなった、松下村塾の様な私塾で行うべきだと思うのです。
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														| 了 |  
														| 菅谷 勝 
 
 
 
 
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