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Vol.4
選挙、実は義務 |
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その昔、封建主義国家から自由主義国家へ移り変わる過程で、先人達は自由民権運動を流血の中で展開し、国民主権の国家体制を形作って来ました。その後、自由主義体制も成熟し、今日では成人男女が等しく選挙権を持つことを当たり前に思う時代になっています。時計の針が後戻りして国民に投票権が無くなる時代など、今の日本では想像もつかないのではないでしょうか。
国民が流血の代償として選挙権を獲得した時代、選挙権は正しく国民が地方自治や国政に参加する為の権利であったと思います。しかし、今日の選挙権を考えると、投票は国民の権利というよりも、義務の側面の方がより強く感じられるのですが、如何でしょうか。
政治家を批判し、政治のあり方を批判する権利を持つ代わりに、国民は投票の義務を負うとした方が、今日の実情に合う気がするのです。逆に言えば、投票所に足を運ばない人には、政治家や政治を批判する資格、権利が無いと言うことです。
投票率の低下について、新聞、テレビ等のマスコミは、口を揃えて政治の貧困の為だとしています。しかし、果たしてそうでしょうか。
昔から「政治家のレベルは国民のレベルに比例する」、との有名な言葉があります。批判し、政治に背を向けて投票所に足を運ばなくなれば、議会制民主主義の基盤が崩れる。これは自明の理です。
背を向けたり投げ出すのではなく、多くの国民が政治に関心を持ち、投票することによってレベルの高い政治家を育てる。レベルを維持し高めるには前向きな努力が必要不可欠で、これは政治に限ったことではありません。
戦後の日本は、この努力によって経済大国となりました。しかし、政治的には二流、三流と言われる日本の現状を打破するには、有能な人材が政治の世界に身を投じる様な環境を、国民自らが創ることで達成されると考えます。その為には政治に関心を持ち、買収や義理人情に依らない投票こそがその第一歩であり、我々国民の義務だと思うのです。
現在、日本の投票率は危機的レベルに低下しており、この危機を回避するには最早、投票を義務とする法制化が必要と考えます。現に外国では投票を国民の義務とする法制度を設けている国もあるのです。
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