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Vol.1 中央の道 |
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我が社の創業者で先代社長であった私の父は、94才の現在も至って元気に隠居生活を送っております。今回のお話は、私が大学を卒業し、すぐ父の会社に入社して間もなく、父から聞いたことです。それは昭和30年代の前半、日本経済は高度成長をひた走っていた頃のことです。当時、父は日本最大の
調査会社で取締役営業部長として働いていました。
ある日、日本を代表する大手企業の人事課長から「相談がある」と呼ばれ、内容は次の様なものでした。即ち、人事課長の親戚筋に東大生がいて、人事課長の会社に入社を希望している。しかし、この東大生は軽い結核の病歴があり、調査でそれが分かると採用することが出来ない。相談というのは、調査の際、この病歴を見逃して欲しいと言うもので、しかも「親から預かって来た」と、封筒を差し出されたのです。
その頃の日本は安保騒動やら何やらで、大学生の間では「左翼にあらずんば人にあらず」といった風潮が蔓延し、危機感を抱いた企業側は可成り厳しい採用調査を行っていました。人事課長の会社も同様で、社員を採用する際は全て調査しており、現在と違って当時は世間一般も「身元調査は当たり前」の感覚でした。
父の勤務する調査会社にとって、人事課長の会社は経済調査を含めると最大の取引先でした。それだけに人事課長の意向を無視する訳にはいかず、かと言って封筒を受け取ったのでは調査会社としての信用問題になる為、正に「板ばさみ」「進退谷まる」状況に追い込まれたと言います。
そこで父は「返事は一両日待って欲しい」とお願いし、解決策を模索しました。翌々日、人事課長の許へ出向き、提案した解決策は以下の如き内容でした。
当時、父の勤務する調査会社には本社だけでもベテランから新人迄、多数の調査員がおりその中から新人でなおかつ能力評価の低い調査員を選び出し、東大生の調査を担当させる。しかし、もしこの調査員が結核の病歴を把握した場合は諦めて欲しいと言うものでした。
人事課長がこの提案を受け入れた為、父は早速担当調査員を指名しましたが、以後はその案件に一切タッチせず、調査リポートは秘書に届けさせ、リポートの内容にも目を通さなかったそうです。その後、父は人事課長と幾度となく会っていますが、お互いに東大生を話題にすることはなかったそうです。
話の最後に父は私にこう言いました。
「あの東大生が入社したか否かは今でも分からない。調査員が結核の事実を摑んだか否かも知らない。人は窮地に追い込まれると兎角視野が狭くなり、“右か左か”“二者択一”の選択肢しか思い浮かばなくなる。
しかし、追い込まれた時ほど一旦頭を冷やして、右か左の道だけでなく中央の道がないか模索する必要がある。」
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